社会環境への疑問と
反骨心で踏み出した一歩

仲間の幸せと諦めのない社会への挑戦

創業の想い
Tsuyoshi Kitayama

  • ある男性との対話と福祉業界への反骨心
    障害者=社会的弱者?という意識を強く感じた体験が前職を創業した2005年の仙台でありました。同じ人間なのに自分の人生を自分で決められずに周りの福祉職員がすべてを決めてしまうことが当たり前の障害福祉の世界を垣間み驚愕した記憶があります。私の原体験は当時出会ったある男性との対話。高校3年生の時に交通事故で重度身体障害になり以降20年近く24時間介護施設での生活、働きたい意志があるにも関わらず人生に絶望しきっていた男性。その絶望感は本人から生まれたものではなく、周りにいる少ない人間が勝手に諦めることにより生み出されたもの。そして、新参者を拒絶する福祉業界の壁。「障害があっても働きたい意志があるなら、それを何とか実現するのが障害福祉の使命ではないのか?」と私たちの想いを話そうものなら全否定とバッシング。面白いくらい誰も相手にしてくれませんでした。これは、誰に何を言われようが若者なりの想いを貫くしかない。想いを実現するまでやり切るしかない。そんな確固たる反骨心が芽生えたのはこの時でした。
    「社会環境」への疑問
    障害のある子どもを産んだ母親が「ごめんなさい。こんなお母さんを許してね」とか障害のある子どもを持つ父親が「この子は何もできないんだから家に居た方がいいんだ」とか親御さん全員ではないにしろ似たような言葉を耳にする機会がまだまだあります。私は障害のある子どもを持つ親御さんがこうした意識を持ってしまう「社会環境」の方へ疑問を抱いています。その子は悪くないし、親ももちろん悪くない。障害のある人間の未来に希望を持てない諦めの気持ちが先行してしまう今の「社会観」が問題だと考えています。
    分離教育時代の弊害を乗り越えるために
    正直、障害者って怖いよね?という方が一般的には多いかもしれません。障害の有無によって教育制度が分けられていた「分離教育時代」の弊害がそこには表れています。幼少期の価値観形成過程では健常者と障害者が分離されていたのに、いざ「働く」という段階になると、いきなり障害の有無にかかわらず同じ枠組みのなかで共生していかなければならない。それが現在の日本です。分離されていたから知らない、分からないのは当然です。分からないことは怖いし恐れを感じてしまうのも当然。これは、人間の本能として当たり前の感覚だと思います。でも、分からないままで本当に良いのでしょうか?障害福祉のことを障害福祉の方々のみでやっていくだけでは本当の意味でのダイバーシティ、多様性のある社会を創っていくことは難しいのではないかと感じています。だから、私は障害福祉のことを障害福祉のことだと捉えない方々をたくさん巻き込んで社会を変えていきたい。
    実現したいのは「仲間の幸せと諦めのない社会」
    仲間同士が感謝しあいお互いの幸せを求め協力しあう風土と、多様な考えや様々な働き方を尊重しあい応援しあう文化を私たちのチームで醸成していきたい。そして、地域全体が自然に障害福祉に関わってしまうような、自然に障害の有無を意識しなくなるような、 障害のある当事者やご家族が生きやすくなる、あるいは、引け目を一切感じなくなる社会。そんな社会を「諦めのない社会」としてしっかりとカタチづくり、全国へ発信・伝播していきたい。達成したいことは、たった1人でできるものではありません。いろんな方々に頼って、協力してもらって、少しずつ地道に成し得ていくこと。一朝一夕には実現できないことだからこそ挑戦し甲斐があると思っています。これからも私たちソーシャルデザインワークスを何卒よろしくお願い申し上げます。
  • Profile.

    北山 剛 (きたやま つよし) 北山 剛

    代表理事CEO/エグゼクティブプロデューサー
    1979年福島県いわき市生まれ。東北大学工学部卒業、同大学院情報科学研究科修了。26歳で株式会社LITALICO(障害福祉事業会社では唯一の東証一部に上場)の創業メンバーとして参画。10年以上にわたり、社会的課題をビジネススキームで解決していくソーシャルビジネスが成り立つことを実績で示す。その後、同社から独立、再びゼロから起業。NPO法人ソーシャルデザインワークスでは「すべての仲間の幸せを追求すると共に、諦めのない社会を創る」というビジョンを掲げ、障害のある方や生きにくさを抱える方々に向けた自立訓練・就労支援サービス事業を軸に多様なごちゃまぜの世界観を地域の方々と共創し、全国展開を目指している。

  • VIiSON

    ある男性との対話と福祉業界への反骨心
    障害者=社会的弱者?という意識を強く感じた体験が前職を創業した2005年の仙台でありました。同じ人間なのに自分の人生を自分で決められずに周りの福祉職員がすべてを決めてしまうことが当たり前の障害福祉の世界を垣間み驚愕した記憶があります。私の原体験は当時出会ったある男性との対話。高校3年生の時に交通事故で重度身体障害になり以降20年近く24時間介護施設での生活、働きたい意志があるにも関わらず人生に絶望しきっていた男性。その絶望感は本人から生まれたものではなく、周りにいる少ない人間が勝手に諦めることにより生み出されたもの。そして、新参者を拒絶する福祉業界の壁。「障害があっても働きたい意志があるなら、それを何とか実現するのが障害福祉の使命ではないのか?」と私たちの想いを話そうものなら全否定とバッシング。面白いくらい誰も相手にしてくれませんでした。これは、誰に何を言われようが若者なりの想いを貫くしかない。想いを実現するまでやり切るしかない。そんな確固たる反骨心が芽生えたのはこの時でした。
    「社会環境」への疑問
    障害のある子どもを産んだ母親が「ごめんなさい。こんなお母さんを許してね」とか障害のある子どもを持つ父親が「この子は何もできないんだから家に居た方がいいんだ」とか親御さん全員ではないにしろ似たような言葉を耳にする機会がまだまだあります。私は障害のある子どもを持つ親御さんがこうした意識を持ってしまう「社会環境」の方へ疑問を抱いています。その子は悪くないし、親ももちろん悪くない。障害のある人間の未来に希望を持てない諦めの気持ちが先行してしまう今の「社会観」が問題だと考えています。
  • VIiSON

    分離教育時代の弊害を乗り越えるために
    正直、障害者って怖いよね?という方が一般的には多いかもしれません。障害の有無によって教育制度が分けられていた「分離教育時代」の弊害がそこには表れています。幼少期の価値観形成過程では健常者と障害者が分離されていたのに、いざ「働く」という段階になると、いきなり障害の有無にかかわらず同じ枠組みのなかで共生していかなければならない。それが現在の日本です。分離されていたから知らない、分からないのは当然です。分からないことは怖いし恐れを感じてしまうのも当然。これは、人間の本能として当たり前の感覚だと思います。でも、分からないままで本当に良いのでしょうか?障害福祉のことを障害福祉の方々のみでやっていくだけでは本当の意味でのダイバーシティ、多様性のある社会を創っていくことは難しいのではないかと感じています。だから、私は障害福祉のことを障害福祉のことだと捉えない方々をたくさん巻き込んで社会を変えていきたい。
    実現したいのは「仲間の幸せと諦めのない社会」
    仲間同士が感謝しあいお互いの幸せを求め協力しあう風土と、多様な考えや様々な働き方を尊重しあい応援しあう文化を私たちのチームで醸成していきたい。そして、地域全体が自然に障害福祉に関わってしまうような、自然に障害の有無を意識しなくなるような、 障害のある当事者やご家族が生きやすくなる、あるいは、引け目を一切感じなくなる社会。そんな社会を「諦めのない社会」としてしっかりとカタチづくり、全国へ発信・伝播していきたい。達成したいことは、たった1人でできるものではありません。いろんな方々に頼って、協力してもらって、少しずつ地道に成し得ていくこと。一朝一夕には実現できないことだからこそ挑戦し甲斐があると思っています。これからも私たちソーシャルデザインワークスを何卒よろしくお願い申し上げます。
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