福祉をメガネにする
福祉をもっと当たり前にもっとオシャレに誰もが関われる社会に!
中途(同業界転職)
Daiki Nakajima
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Profile.
中島 大樹 (なかじま だいき)
サービス管理責任者/ソーシャルライター/社会福祉士/精神保健福祉士
1985年生まれ。兵庫県西宮市出身。西宮市で生まれ育った生粋の宮っ子。神戸医療福祉専門学校卒業後に高齢・障害・貧困・生活保護など様々な分野の福祉現場での経験を持つ。「福祉をもっと当たり前に、福祉をメガネに」をモットーに情報発信や取材活動も行っている。
Career Path.
- 神戸医療福祉専門学校卒業(2007)
- 社会福祉法人ゆうわ福祉会新卒入社(2007)
- 精神保健福祉士資格取得(2008)
- 社会福祉法人神戸光有会入社(2009)
- 社会福祉士資格取得(2010)
- ソーシャルデザインワークス入社(2019)
- 西宮店サービス管理責任者配属(2019)
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Q&A.
- 仕事内容を教えてください
- サービス管理責任者とアシスタントマネージャーをしています。サービス管理責任者として、モニタリング面談(個別支援計画書更新時に実施する利用者さんとの面談)を月に10人から15人くらい面談してます。 ごちゃまぜタイムズのライターとして記事を書かせてもらったり、たまにカメラマンをやったりもします。
- 障害福祉の分野に足を踏み入れたのは、どんな思いからですか?
- 障害について考え始めたきっかけは、高校の同級生でした。同級生に摂食障害の子がいて、夏休みに入院してそのまま夏休みの間に亡くなったんですよ。特別仲が良かったわけではないんですけど、その時に人の命ってこんなに簡単に無くなるんだっていうのが個人的にはすごい衝撃でした。 何とかならなかったのかなと考え、精神病の方の支援に興味を持ち始めました。それから福祉系専門学校を卒業して、地域で精神障害のある方を支えていきたいと思い、精神科病院には就職せず、地域で障害のある方を支援させて頂いています。
- SDWs(ソーシャルデザインワークス)を選んだ理由を教えてください
- ドライブ求人でたまたまSDWsを見かけたのがきっかけです。理念に共感できたのと、代表の北山さんが子供の頃から分断って始まってますよねと言っている記事を見て、それにすごい共感しました。僕には今娘が二人いて上の子が今年から小学校に通っているんですけど、娘と同じ保育所の子で発達障害があって支援級に行った子が3人いるんです。小学校ではクラスが違って、仲が良かったので遊びに行くんですけどいつも教室にいないらしくて。先生に聞いて支援級に行っているっていうのは分かったんですけど、でもそこに行っていいのかダメなのかがわからないって娘が言うんですよ。場所も教えられていなくて、どんどん疎遠になっちゃって。集団登校の時にその子たちも見かけるんですけど、すごく活発だった子が今は一言も喋らないくらいに変わっちゃっていて。障害があるっていうレッテルを貼られて、分断されてみんなと同じ空間で過ごせないことで、ここまで変わるんだって思ったりしました。こうやって分断されていって、もう関わることはなくなっていくんだろうなって。悲しいなって思いますね。 今は子供がいるのでより実感していますけど、前々から分断されているのはおかしいなと思っていたんです。ずっと分断されて生きてきて、大人になるまで障害がある人と関わったことがない人もいっぱいいるじゃないですか。会社に就職して、会社が障害者雇用を始めますってなって急に障害のある人が就職してきて、「君この人の担当だから仕事教えてあげてね」って言われても無理じゃないですか。だからこそ幼少期から障害がある人とも自然と関わっていくごちゃまぜの考えにすごい共感できたし、応募するきっかけになりました。
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Q&A.
- 実際に就職してどうでしたか?
- パッと思うのは、激動の2年間だったなって。責任ある立場になったということもありますが、事業所をリノベーションしたりとか、新しく場所を借りたりとか、何かとトピックが多くて。SDWsに来てから動き続けているなっていう感覚はありますね。 あとは、ソーシャルスクエアでは今就労移行と自立訓練とやっていて、どっちも期限があるサービスじゃないですか。今まで働いてきたところは特に期限なくずっと支援してきたので、期限があることの難しさはすごい感じています。特に自立訓練ですかね。自立訓練で利用開始する人たちって、コミュニケーションが難しい方とかも結構いらっしゃって、2年間でどこまでもっていけるかなって。理想の形としては自立訓練から就労移行に移って就職を目指せたらいいんですけど、2年で就職を目指せるところまでいけるか難しいケースもあります。だからサービスの繋ぎの難しさをすごい感じています。
- 支援をする上で大切にしていることは何ですか?
- まず自分がやってみる、自分が楽しむことは心がけています。自分がやってないのに人にやれって言うのがすごい嫌で、利用者が新しいことに挑戦するときには僕も一緒にやってみるようにしています。障害があるゆえに自己肯定感が下がっちゃって、やりたい気持ちはあっても失敗が怖いとかでなかなか挑戦できないってことがあるんです。そこで「やってみたら」っていうのは無責任だと思うんですよ。「やってみたら」でできたらやってるわって話で。一人じゃ難しかったとしても、僕も一緒にやるからやってみようよって言ったらできる時もあるので、自分も一緒になってチャレンジすることが大事だなって思います。一緒に楽しむことに関しては、やっぱりこっちが楽しんでないとメンバーさんも楽しくないじゃないですか。メンバーさんに楽しんでもらうためにも、まずは自分が極力仕事は楽しんでやりたいですね。
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Q&A.
- 10年後の日本はどんな社会になっていて欲しいと考えますか?
- 福祉がもっと当たり前になったらいいなって思っています。「福祉をメガネにする」って違うインタビューでも言ってるんですけど、もっとオシャレになったらいいと思うんですよ。オシャレでメガネかけるくらいの感覚で車椅子に乗るとか。ソーシャルスクエアの利用者さんでも「オシャレだから」「福祉っぽくないから」という理由でここを選んでくれている方も結構いるんですよね。だからこそ福祉はメガネみたいにもっとおしゃれになって、当たり前になっていけばいいですよね。 それと、ソーシャルワーカーがいろんなポイントで介入できるようになっていたらいいなと思います。前職は救護施設(生活保護法によって規定され、地域で生活するのが難しく支援が必要な人が入る施設)で働いていたんですが、救護施設に来る人って人生落ちるとこまで落ちたみたいな人たちなんです。例えば元々は働いていて結婚して子供もいたけど、精神病になってリストラにあって、離婚して酒に溺れて、倒れているところを保護されて。それから重い病気が見つかって、でもお金もなくてとてもじゃないけど家では生活できないとか、ホームレスになったとか、そうなってから来るんですよね。そうなると社会に復帰するのってすごい難しいんです。でも、もっと早く介入できていればそこまでいかなかったんじゃないかって思うんですよ。リストラにあった段階とか、離婚した時とかお酒に溺れていった時とか、福祉が介入できるポイントはいくつかあるんじゃないかなって思います。 制度的な話をすると、社会のサービスやインフラにソーシャルワーカーをプラスできればいいなって考えています。例えば、携帯のキャリアとソーシャルワーカーが契約しておいて、3ヶ月間不払いの人がいたらソーシャルワーカーが介入できる、みたいな。生きていく上で何かしらの問題が起きた時に、一番最初にキャッチできるのって家賃や電気、ガス、水道、携帯料金の不払いとかのインフラ面なんですよ。現状不払いが続いた時ってどんどん追い詰められるだけじゃないですか。そうじゃなくて、今働けていないんだったら生活保護を受けましょうかとか、働くための訓練をしてみましょうかとか、何か障害があるかもしれないから病院に行ってみましょうかとか、対応を検討していった方がいいと思うんです。そうやって社会の至る所にソーシャルワーカーが介入していくことで、すごく生きやすくなるんじゃないかなって。困ってる人たちって自分でSOS出せるかって言ったら大抵出せないんですよ。SOSを出すエネルギーも残ってなかったりとか、そもそもどこにSOSを出していいかわからない人もいます。日本って申請主義社会で、自分で申請しないとサービスを受けられないんです。でもそれをできるんだったら…っていう話で。やっぱり、申請しに来るのを待つんじゃなくて、こっちから積極的に発見しにいったり介入しにいくっていうことをしていかないと、今の社会の構造は限界があるなって思います。追い詰められていく人たちってどんどん追い詰められていってしまうので、介入するポイントを増やして行けたらいいなと考えています。
